Imagination of the Virtual / Imagination des Virtuelles

これは自治医大で人文科学・社会科学・自然科学の基礎に携る研究者が構成する会です。現在は、心の働き(感情、知性、想像力、客観化)がどのような規範化を背景とするか議論しています。

研究報告5:「蜷川実花 現実と虚構のあいだ」於 宇都宮美術館

蜷川実花。おそらく、今日本で一番その作品を目にすることの多い写真家と言って差し支えないはずだ。なにしろ、週刊雑誌の表紙をはじめとする様々な大衆向けの媒体を発表の場としている。蜷川よりも多くの発表媒体を持ったアーティストは、世界に目を向けてもそういないのではないか。その意味で、蜷川は、世界で最も成功した「ポップアーティスト」の一人に数えることができる。このことは、彼女の活動をある程度追えば、自ずと知れる事実だ。そしてこの事実が、私が彼女の作品を「真剣な」鑑賞の対象から除外してしまう理由となってきた。研究という名目がなければ、おそらく美術館にまで足を運ぶことはなかっただろう。たとえば、彼女の被写体には大いに関心があるにしても、それはまあ雑誌で鑑賞すればよいので。。。

 

しかし今回、「研究」のために、この事前の情報があり過ぎる作家、蜷川の作品をまとまって観る機会を得て、私は彼女が「現代アート」の意味を体現する、優れた作家と呼べるのではないかと思うに至った。

 

彼女を「現代アーティスト」たらしめている、一番の要素は、彼女自身が彼女の映し出す「現代」の中ーしかもその中心ーに「生きている」ということがある。三つの商業的にも成功した映画を監督し、大衆メディアを表現の場とする若い俳優やモデルや歌手たちが、その被写体となることを熱望する写真家でありながら、自身も、SNSを通じてその個性的なファッションや生活を発信し、多くのファン(フォロワー)を獲得している。彼女は、常に撮る側に徹するタイプの写真家ではなくて、積極的に撮られる側に立つタイプの写真家である。しかも、一世代前の大衆写真家の代表であるアラーキーのように、「写真家」としてであれば「撮られることもできた」写真家とは違って、彼女は、自分自身を、彼女の被写体と同様に、消費されるイメージの対象として発信している。蜷川は、SNSによって、イメージを消費する側と消費される側の間にあった境界線が霧消された世界を象徴する、極めて「現代的」な立ち位置に自らを置いているのだ。

人がそうした立ち位置に立つこと、あるいは、現代の若者が、承認と排除の政治という「人間関係」の中で、そうした立ち位置に身を置かざるを得なくされていることに対する批判は多くある。だから、蜷川が、進んでその立ち位置を引き受け、そうした現代のイメージの生態系を再生産していることを、同様の観点から批判することもできるかもしれない。しかし、今回『虚構と現実のあいだに』と題された企画展で発表された作品群を観れば、そのような批判が単純に過ぎることがわかるだろう。

 

この文脈で、まず特に注目したいのは、「self portraits」と題された作品群である。解説によれば、蜷川は、「セルフポートレート」でデビューしたという。したがってこれは、彼女のデビュー以来のライフワークである。その題名通り、蜷川は自らにカメラを向けている。私は、この作品で、彼女が、自らの性(女性性)にレンズを向けているようにみえることに関心を持った。ハイヒールを履いた足元や、上半身のシルエットには、まちがいなく「女性性」が象徴されている。崩れかかった濃い化粧や、隠されたドアや、ベッドに横たわる自分を上から捉えた像や、涙もまた、女性を生きることについての表象として受け止めることができる。思えば、企画展の入り口近くに、濃い口紅を塗った唇を撮った一連の作品があった。「口紅を塗った唇」は、「現実と虚構のあいだ」の象徴であり、そこには、「女性の性」が顕れている。self portraitsは、そうした「現実と虚構のあいだ」に在る「女性の性」を生きる自らの姿を捉えているように思われる。「痛みを伴う」、「崩れそうな」、「孤独な」という言葉が浮かぶが、蜷川が、全てを開示してなどいないことも、また、作品には織り込み済みだ。それでも、尚、SNSの彼女とは対象的な姿には、「現実と虚構のあいだを消費されながら生きている」、という「現実」に、「誠実」にレンズを向けようとしていることを信じさせる力がある。その「痛み」すら既に、消費され尽くされた対象だとしても尚。

 

そして、彼女が「現実と虚構のあいだ」を生きることの「痛み」を身体的に知る人であることを踏まえると、「self portraits」の前に置かれた「portraits of the time」と題された、いわゆる「芸能人」を主たる被写体とする一連の作品群が、単なる客集めを目的としたものではないように思われてくる。

 

蜷川を前に、若い俳優やモデルが「懸命に」ポーズを取っている。まとめて眺めると、ポーズにも上手い下手のあることがわかってくるが、それ以上に、「ポーズ」が、「現実と虚構のあいだ」に境界線を引く手段である、ということがわかる。ポーズをとる彼らの姿は「虚構」である。けれども、人間である以上、彼らは、蜷川同様に「現実」を生きている。しかもそれは、時に過酷であることを、鑑賞者は情報として知っている。たとえば、被写体の一人として登場する沢尻エリカのように。「ポーズ」は、その「過酷さ」を打ち消す演技であり、被写体を、蜷川の作り上げる「現実と虚構のあいだ」に配置し、「美しい」鑑賞の対象に仕立てる。

 

ところで、写真家と被写体の間には、常に搾取の構造があるし、特に、被写体に「消費される身体的美」を象徴させる行為は、暴力性すら孕む。この暴力性は、写真家が男性で、撮られる側が女性である場合に、最もわかりやすく顕在化するが、同性間でもまた、性別が逆転しても生じ得る。言うまでもなく、性暴力と似ている。しかし、蜷川の場合には、自身が、「現実と虚構のあいだ」を生きることの痛みを身体的に知っている、ということのために、被写体との間の対等な関係を結んでいることを想像させる。彼女自身が、そのような「対等な関係」を可能とする被写体を好んでいる節がある。あるインタビューで、蜷川は、(被写体として)「やんちゃで、品のある人が好き」だと言っている。彼女が被写体に求めるのは「従順さ」ではない。従順さを求めない写真家の前で、被写体は、言われるがままでではなく、自ら「懸命に」「ポーズをとる」ことを求められるのではないか。「現実と虚構のあいだ」に立つことを引き受ける強さを、被写体は求められていて、だから、彼女の撮るポートレートでは、ほとんど誰もが「必死」という感を受けるのかもしれない。そして、蜷川はその姿を「美しく」撮る。私はそれを、「優しい」と思う。

 

蜷川の立ち位置が再生産する「構造」を批判することはたやすい。けれども、そうした批判は、そうした構造の外に生きることのできる、ある種の特権からの批判でしかない。そうした構造の中に生きることを自ら引き受け、そうした構造の中に生きざるを得ない人と共に、その姿を「ポーズ」によって「美しさ」へと転換する作品群には、安易な批判よりもずっと強靭な覚悟を見て取ることができる。その「現代」への態度もまた、「現代的」であり、その覚悟に根ざす「優しさ」と私が感じる写真家としての彼女姿勢は、被写体だけでなく、同じ構造の中に生きざるを得ない鑑賞者をも、勇気付け得るように私は思う。

 

蜷川は、「蜷川色」と呼べるであろう独特の色彩美を様式としながら、おそらくは前世代の写真家とは異なる、現代的で対等な関係性を被写体と取り結び、「現代に生きる」ということを捉えることに成功している。そして、自分自身の父親の死をテーマとする「うつくしい日々」をはじめとするその他の作品も含めて、「現代」を「現在」において捉えることを通して、「儚さ」、「美しさ」、といった「生きる」ことに伴う普遍的情感を表し得てもいる。私たちの「生」は、昔も今も「現実と虚構のあいだ」にあるものだ。

 

SNSに疲れ、安楽死を夢見、生まれることの意義すら疑う現代に生きる私たちに、「生きる」ということを、その過酷さを知りながら、「美しく」見せつける蜷川美花。彼女は、もはや単に商業的に成功したポップアーティストではなくて、優れた「現代アーティスト」、いやもしかして、非常に優れた芸術家なのでは、とすら思うのだけれど、どうなのだろうか。

2019年12月13日

(文責:渡部麻衣子)

研修4報告書:シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」展

 

 

 展示の題名から大方予想していた通りの構成だった。マックス・エルンストサルヴァドール・ダリを中心にいわゆる「シュルレアリスム絵画」(巖谷國士氏によれば、そのように括り得る統一的な様式は存在しないのだが)をまず紹介し、その後は1930年代の日本においてシュルレアリスムに感化された画家たち―福沢一郎、古賀春江三岸好太郎ら―の作品に目を向けるという流れである。筆者が本展示に直接関連する文献として読んだことがあるのは速水豊氏の『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造』(日本放送出版協会、2009年)だが、そこで得た理解の枠組みを大きく変える展示ではなかったと言える。ただし想定外だったのは、つげ義春の漫画「ねじ式」や、成田亨による「ウルトラマン」のキャラクター原案が、1960年代におけるある種の日本版シュルレアリスムとして紹介されていた点である。記念講演において巖谷國士氏が明かしていたのは、彼の知り合いが当時テレビ局で「ウルトラマン」の制作に関わっており、キャラクターに付けられた「ダダ」や「ブルトン」等、シュルレアリスムに関連した名前は、巖谷氏との交流を通じて命名された可能性があるということだった。

 いま一つ驚いたのは、展示作品のすべてが国内の美術館に所蔵されているという点である。国内の所蔵作品だけでここまで包括的な展示ができるものかと瞠目した。ただし包括的という形容は一見したところに限る。というのは、1930年代から現代(束芋の映像作品で終わる)までの日本におけるシュルレアリスム的なもの(「シュール」)の変遷を辿ることがこの展示の柱の一方だとして、その中では1940年代が明らかな空白として目立っていたからである。この空白について、展覧会カタログには次のように説明されてある。 

 〔福沢一郎がシュルレアリスムを志向する若手の前衛画家たちとともに1939年に結成した〕美術文化協会は、〔中略〕当初より左翼的な団体として監視を受け、1941年4月には福沢一郎が瀧口修造とともに検挙されて約7ヶ月間拘束される事件が起きました。その後は出品作や課題制作にも時局に迎合した戦争画の作品が増え、また1944年には航空美術展を開催するなど、翼賛体制に沿った活動に取り組むこととなりました[1]

 この解説が示すところ、日本におけるシュルレアリスムへの志向は明らかに政治的な局面をきっかけに途絶した。展示を通しては語られることのない、この空白期間に鑑賞者の関心を向けさせるという点で、今回の展示構成はすでに観たミュシャ展と重なり合っていると言えよう。ミュシャ展では、大正期の文芸誌で盛んに紹介された彼のデザインが、1960年代に英米圏から入ってきたレコード・ジャケットを通してリバイバルし、その後は主に少女漫画の中に息づいている、という流れが提示されていたのだった。このような提示の仕方には論理の飛躍があると思われたが、同じことが今回のシュルレアリスム展にも認められた。

 しかし断絶は断絶として示すべきであり、空白については別の視点からアプローチを試みるのが適当かもしれない(すぐに思い浮かぶのは「戦争画」という視点だが、他の視点はないだろうか)。これに関連して思い出されるのは、近年公開された映画「日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち」である。2015年に台湾で制作され、監督はホアン・ヤーリーが務めた。1930年代の台湾が舞台であり、そこは日本による植民地支配が40年近く経過し、安定期に入っていた時期とされる。この時期に前衛的な詩人たちの集まりとして「風車詩社」が結成され、彼らは新しいものを学ぼうと同時代の日本の文芸誌を参照し、特にそこで紹介されていたシュルレアリスムの詩に惹かれたのだった。しかし彼らの活動も、1937年に日中戦争が始まり戦時体制下に入ると萎縮する。映画には登場しなかったが、この「風車詩社」に関わる画家の仲間はいたのだろうか。いたとすれば、その人はどんな絵を描いたのだろうか。

 今回の展覧会カタログにはまた次のようにある。 

 しかしながら、シュルレアリスムを標榜した日本の美術家たちの多くに言えることは、日本にもたらされたシュルレアリスムを同時代の最新の表現形式として受け入れるばかりで、シュルレアリスム本来の理念やその実現に貢献する造形的な手法を十全に咀嚼、体得するまでには至らなかったということです[2]

 エルンストやダリが「本物」であり、福沢一郎らはその真似事をしたに過ぎないと断じるには、私たちは彼らについてまだあまりにも無知である。「本来の」シュルレアリスムに合致する思想が彼らにあるかないかではなく、彼らの思想がいかなるものであったのかを知りたい。そのためには、対西欧という図式なしに彼らの作品をまとめて見る機会(個展でも可)が必要だろう。また、上述の映画作品を端緒として、広く世界(特にアジア)を見渡す視点の導入が今後のシュルレアリスム研究を活気づけてゆくのではないかと思われる。

 最後に、エルンストのフロッタージュ作品は、自然に存在する形象を写し取ることで未知のイメージを現出させる手法であるが、これは近年話題の「バイオアート」の先駆けであるように思われた。備忘録として記しておく。 

                          2019年12月31日 吹田映子

 

[1] ポーラ美術館学芸部〔編〕『シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」』〔展覧会図録〕、公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館、2019年、102頁。

[2] 同上、158頁。

研修4計画書:シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」展

研修名:感情表象の系譜の研究に関する研修 

出張日程:12月15日(日曜日) 

出張者:小野純一(哲学)、吹田映子(文学)、渡部麻衣子(倫理学

 

研修の目的

 

 上記出張者3名はこれまで、グラフィック・アート(ミュシャ展)、バレエ(バレエ・アム・ラインによる現代版「白鳥の湖」)、能楽(五雲会)を鑑賞し、洋の東西を意識しながら、前近代・近代・ポスト近代の社会において感情の規範化がどのように行われ、また、行われつつあるのかについて、表象分析を通して考察を試みてきた。今回は、ポーラ美術館で開催される「シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」」展を鑑賞し、20世紀前半の文芸潮流であるシュルレアリスムの中でも特に絵画において、表現内容から「感情」が一見して排除される傾向があったことを確認したい。なお、一面的に過ぎるかもしれないが、「感情」はシュルレアリスムの側よりもむしろ抽象芸術の方で引き受けられるという見方も念頭に置いておく。

 さて、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが提唱したシュルレアリスム1920年頃に始まるが、西欧を中心に各都市で同時代的に発生・伝播し、詩のみならずコラージュ、絵画、映画、彫刻、オブジェ等、様々な形式において現れた。なかでも盛んだったのは視覚表現の分野だが、そこで特徴的なのは、本展の目玉でもあるサルバドール・ダリマックス・エルンストの作品に顕著なように、対象=モノ(objets)を一見脈絡なく組み合わせ、しかし見方によっては過剰な意味作用を惹起するようなイメージである。

 一見脈絡のない対象=モノを一つのイメージとして見るとき、観者は断片から全体を再構成すると言えるだろう。実際、シュルレアリスムは精神医学や精神分析の最新の知見を取り入れつつ、統一的で理性的な主体(sujet)の概念を問うたと言われる。こうした予備知識なしにシュルレアリストたちが生み出した絵画表現を見ることは難しいが、確かにそこでは、悲しみや喜びといった人間の日常的な感情を差し挟む余地はないように思われる。このように再構成された主体において、感情にはどのような場所があるのか、あるいはないのか。

 両大戦間期に盛り上がりを見せた西欧のシュルレアリスムには、人間精神の解放という理念があった。シュルレアリストの多くはソ連誕生という政変を知って社会主義的な「革命」への憧れを抱き、各地で台頭しつつあったナショナリズム植民地主義に抗して政治的な運動にも深く関わった。以下は憶測でしかないが、例えばナチズムが感情の動員に長けていたとはよく言われるところである。全体主義的な状況下でシュルレアリストたちが「感情」を退けたとすれば、社会情勢等に規定された彼らの日常における感情経験がどのようなものであったのかを詳しく知る必要があるだろう。

 こうした西欧のシュルレアリスムが「超現実主義」として日本に伝わったのは1930年代のことである。シュルレアリスムの中心地であったフランスでは、反ナチス=ドイツという立場であったがゆえに(あるいはブルトンらがアメリカに亡命したがゆえに)、シュルレアリスムは生き延びることができた。一方、翼賛体制にあった戦時下の日本では検閲・弾圧等が厳しく行われたため、シュルレアリスムに思想面で共感する者であっても、体制批判をも辞さない人間精神の解放という旗は掲げることができず、したがって中核となる理念を欠いたまま、シュルレアリスムは表面的な美術のスタイルとして流通することになった。こうして骨抜きにされた日本のシュルレアリスムの残滓が、現在も使われる「シュール」という日常語に定着したようだ。

 以上のような関心から、展示のみならず巖谷國士氏による記念講演会にも参加する。「シュルレアリスムと『超現実主義』」と題された講演では、シュルレアリスム研究の泰斗であり、且つ(シュルレアリスムを体系的に日本に紹介した)瀧口修造の友人でもある巖谷氏から、シュルレアリスムをめぐる歴史的な証言を聴けるのではないかと期待している。

 

会場: ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285)

講演会: 13:50集合、14:00~15:30

展示鑑賞: 15:30~17:00

研修3報告書:五雲会

 

研修3報告書:五雲会

 

 2019年10月19日土曜日、東京都文京区の宝生能楽堂にて五雲会による演能を鑑賞した。演目は次の通りで、能の三作品は代表的なものである(便宜上、シテとワキのみ記入する)。

 

 能「敦盛」(シテ辰巳和磨、ワキ野口能弘)

 狂言「御茶の水」(大蔵基誠、大蔵彌右衞門、大蔵教義)

 能「井筒」(シテ大友順、ワキ福王和幸)

 能「葵上」(シテ澤田宏司、ワキ大日方寛)

 

概要

 「敦盛」は『平家物語』の中でも名高い「敦盛最後」に世阿弥が着想を得て作ったものである。「敦盛最後」の章は現代の日本でも教科書に収録され、海外の日本語学科でも古典日本語を学ぶ際にはよく取り上げられる。前近代では、現代以上に知らないもののなかった逸話である。源氏の武将、熊谷次郎直実は騎乗の若武者を落馬するまで追い詰めたところ、それが自身の子と同じくらいの若者であることに気づき逃がそうとする。だが背後に迫る自軍の勢いを考えれば、敦盛の逃げきる可能性はなく、死後の供養を約束して手にかけざるをえなかった。直実は法然の弟子となり、法名は蓮生という。この後日談が世阿弥によって想を新たに語り出される。たがいは仇同士ではなく死後は同一の蓮台に生を受ける者同士であり(法名の蓮生が念頭にある。現世では蓮の葉に分かれてある露のように共に過ごすことはかなわないが、来世では同じ蓮に生まれ変わろうと約束する表現が『源氏物語』にあるように、蓮の台は新たな生の場という意味で用いられる)、この生の新たな段階で両者はもはや敵同士という関係性を超克しており、敦盛は蓮生に弔いを願って物語は終わる。対立するもの同士の本来的な不二一元性が「蓮台」として、その生のあり方が「蓮生」として念頭にあり、それが物語の枠組み、基幹、思想的背景と言いうる。

 「井筒」は『伊勢物語』「筒井筒」の章に着想を得て世阿弥が作ったとされ、世阿弥の作としてだけでなく能そのものの代表と位置づけられる。『伊勢物語』原典では次の通りである。井戸を囲う竹垣のそばで丈比べをして遊ぶ幼い男女が、長じて相見えるを恥ずかしんで会わないものの、互いに忘れられない。女は縁談を断り続けていると、男から歌が届く。契りを交わすも男は別の女の元に通うようになる。その中にあって妻となった女は夜を行く夫の安全を願うばかりであることを当の夫は知ることになり、足繁く通うことを控え始める(改心はしないように思われる)。男は、素材が『伊勢物語』であるから、当然ながらその名目上の主人公、在原業平であるが、この段で主題となる女は紀有常の娘であり、いわばここでの主人公とも言える。実際、謡曲は女に焦点を当てる。業平が関わる物語では通常、後場において後シテが陰陽不二の現れとして描き出されるが、本作でも男性演者が扮するところの「女」が男として(男装して)再度顕現する。男女という〈二個の存在の融即〉とも呼びうるこの〈現成〉は「見見えし」においても「見」の主客合一として、さらには「面影」において昔と今という時間構成に先立つ様態が示される。そこでは、存在(色)ではなく「匂ひ」という脱質料的でありつつ感覚的な、つまり世界構成以前(「夢」)が現象する(「色なうて…残りて在原」において、「ない」と名残の「残り」と「あり」が、「ほのぼのと明く」、すなわち融即しつつ顕現すると捉えうる)。

 「葵上」は世阿弥以前からあったものに世阿弥が手を加えたと考えられる。主題は『源氏物語』「葵」帖を中心とした『源氏物語』における葵上をめぐる物語に想を得ている。光源氏の正妻は葵上であり、この女性の名がタイトルである。この物語は原典では次の通りのである。賀茂祭葵祭)で葵上の家来と光源氏の愛人六条御息所の家来同士が牛車の場所争いをする。その時、六条御息所は、車が壊されるなどの恥辱的な扱いを受ける。その頃から、葵上は病床に臥せり始める。それは、源氏の子を葵上が身ごもっており、なおかつ祭りの際には公衆の面前で恥をかかせたことが原因となって、源氏の心の離れつつあった御息所が睡眠中に知らずに生霊となって葵上を呪うせいであった。葵上への呪いはその死によって終わる。謡曲では、この葵上をタイトルに入れて主人公とすると見せかけるも、真の主人公は六条御息所、あるいはその〈怨念〉である。実際、葵上の存在は舞台の最前に敷かれた着物によって示唆的に暗示されるのみで、その大胆な省略の演出に、その現代演劇的表現方法に、能の特徴が表れているとも言えよう。しかし『源氏物語』自体においても葵上の短歌が引かれないなど、もの言わぬ存在としての葵上が能舞台ではもの言わぬ物として表象されているとも、またひたすらに受動的な呪いの対象として表されているとも取れる。ここで葵上は前シテの恨み辛みを顕現させ、後シテへと媒介し、その「心を和らげ」るという変容をもたらす触媒として終始無言で横たわっているに過ぎない。

 

鑑賞

 吹田はそれぞれの作品について次のような問題を見いだしている。「敦盛」においては前シテが草刈りの男たちに紛れて現れる演出に関して、それは霊の顕現様態ではなく、別人への憑依なのか判然とさせない。言い換えれば、前シテと後シテ、前段と後段との位相の変転、形象化の違いについて考察の必要性を指摘している。謡曲が前半と後半という構造を持ち、それが現象性の相違である点を下で論じることにする。「井筒」については、宝生会のパンフレットに「永遠の夫婦の愛情を美しく描いた名作」とあることに触れ、そのような近代的な感情が主題の作品であるとみなすことは、前近代を後代の枠組みや規範に回収することになりかねない点を指摘する。

 確かに永遠の愛はキリスト教的であり、そういった愛が主題なら、一方で「神の視点」を投入するのと同じように「神の愛」を実現できるかのような前提を無批判に行っている点はヒュブリスと見なさざるをえず、もう一方でそれは仏教的(正確には、神仏習合的)世界観に真っ向から反することにもなりかねない。なぜなら、仏教では永遠性は何より否定されるであろうから。そして、神仏習合的世界観において「愛」は我々が思い浮かべるような意味内容を持ってはいない。そもそも「愛」は近代的に獲得された規範・形式・概念である。我々の考える「愛」の観念を無批判に用いて、それを過去の作品に投影することは理解を歪める。アナクロニズムに基づく理解を指摘・回避することは、作品の鑑賞・鑑賞にとって最も重要な基軸になる。

 また、シテの多角的・多層的アイデンティティについては、イメージが多層的に分散するところに眼目があると吹田は指摘している。というのも、シテは霊であることを仄めかして消えて、男女融合的形象化の後シテとして現れるが、それは物語全体が終わってみれば、女が僧の夢に夫の姿で現れて、井戸を覗いて夫の姿を見るという何重もの形象化であるからだ。それは、私(これ)は何か・誰かのようなアイデンティティ意識の非正当性を示唆し、多重多層化する像に本来性を見いだすことであろう。吹田は、ミュシャ作品の鑑賞に際しても、「曼荼羅化としての図像化」、そこにおける「始点を明かさぬ線の無限運動的反復性」(「無限の変化」という意味で)、「周辺に拡散する脱中心的なエネルギー」、「アナーキーな眩暈の場の成立」を指摘している。その観点からすれば、能にもまた「イメージの多層的分散」を見いだす観点を導入できよう。そのとき能が提示するものとは、その都度の体験においては体験主体が「脱中心的」で「アナーキー」でありつつ、「曼荼羅化としての図像化」を行う「眩暈の場」を具現している生死の区分を超えた運動ではなかろうか。

 「葵上」はひたすらの祈祷で成仏する場面の長さ特徴的であることが指摘される。その長さは、演劇を見て楽しむものというものから遠ざける要素になりかねないものである。従って、その扱い方に関して、流派や演者によって変様があるのか、今後、比較検討する余地のあることを指摘している。この祈祷部分は巫女のほか修験道で利用される仏教経典からの引用が呪文として用いられるが、これは次に引く渡部の指摘するように、前近代の人間であろうと現代人であろうと、鑑賞者に対して意味化、意味構成、理解を拒むことを目的とした部分でしかない。これは有意味的な言語表現としての台詞ではなく、意味をなさないことによって、無意味であることによって、言語的記号性とは別の水準において意味をなすことが目指されていると言えよう。

 渡部は、西洋の音楽芸術が音とリズムの分節化から成り、その組み合わせの巧みさが音楽の優劣となるように思われるのに対して、(最近は鼓や笛の自己主張の強さが問題視されることを紹介し、このような感覚が現代の能ならではの感覚かもしれないと別の可能性も指摘しつつ)能では緩急や高低や柔剛といった対比の組み合わせの妙が際立っていると捉える。そして、今回の舞台を次のように記述する。すなわち、柔らかく太い声と鼓とが交互に生み出していく音に流れに、高い笛の音が切り込んでいく音の世界と物語を舞う身体の世界とが融合しながら作り上げていく感情世界に鑑賞者の感覚を没入させていく時、能面は表象される感情世界と鑑賞者の没入の接面のように表情として感情を映し出して、没入世界と現実界の境界を朧げにしていくようであった、と。そして、渡部は今回の能鑑賞を一つの音楽体験として、分節化されない刺激の総体を感知する没入体験であると表現し、音楽体験と物語体験との両面から見る。というのも、能では物語を楽しむべきことが第一義的であると言えるのか、少なくとも現代人の場合は古典語を母語として直接無媒介的に意味理解しない以上、すなわち物語の解説を読まなければ演劇としての理解が成立しない以上、能は音楽体験になり、その体験はトランス状態に近づかざるをえないのではないかと問い直しうるからである、という。特に今回鑑賞した宝生流は様式美で知られるのであれば、その具象的なトランス状態とはいかなるものかと問うことになる。従って、このような具象的トランス状態における物語の展開とは鑑賞者にとっていかなるものかという問いを立てることが可能である。

 音楽体験をトランス状態と言い換えることは、人類学的知見からも正しいと言えるのではないだろうか。また、現代人の場合との留保をつけるが、確かに前近代にあっては、有名な謡曲であればテクストを全て覚えているか、ある程度内容を知っていることが素養であったとはいえ、呟くような、あるいは囁くような地謡の声は聞き取りにくいし、面を通して聴くことになるシテの謡も明瞭とは言い難い。何よりも重要なのは、視覚に偏重しているのが近代であって、前近代では聴覚により偏重していることは常々指摘されていることである。

 吹田が「アナーキーな眩暈の場の成立」と呼ぶものが、ここで渡部によって「トランス状態」と呼ばれていると言えよう。それは謡曲が描くしての状態であるし、演技が成功しているならばそれは演者の状態であるし、鑑賞者が精確に受容できているならば、鑑賞者の状態でもあるはずのものである。従って、トランス状態とは、己を観点の中心に置かず絶えず「周辺に拡散する脱中心的なエネルギー」として自らをアナーキー化することに成功していなければならない。これは曼荼羅的世界表象なり体験表象なりを、静態的に捉えるべきではないこと、力動的にとらえねばならないことの別の表現となるように思われる。さらに吹田と渡部によって等しくかつ精確に指摘されていることのもう一つに、有意味でない言語的記号による二項対立的概念の水準とは異なる段階(後場、後シテ)での意味性の開示がある。この意味性の段階では、一義性(二項対立的概念、通常の記号的意味作用)は働かず、意味は多義性へと還元される。従って、意味の作りだす像もまた多義化すなわち多重多層化すると言えよう。

 

 能狂言は、しばしば古代ギリシアの演劇形式に対応づけされる。それについては以下の理由が大きいと思われる。まず形式上、古代のアテナイにおける演劇スタイルは三つの悲劇と一つの喜劇(滑稽な劇、サテュロス劇)から構成されるので、例えば今回の五雲会の構成に見るように三つの悲劇(能)と一つの喜劇(狂言)という組み合わせに対応しているように見える。しかし、ギリシアの演劇が実際には一度きりの上演であるのに対して、能狂言は、改変されつつも、同じ作品が繰り返し上演され得た点で、古代ギリシアと大きく異なると思われる(ただし、江戸時代名での記録を見ると、一度きりの上演が極めて一般的であったようであり、タイトルしか知られておらず台本が現存しない作品があったようである)。

 また内容上は次の点が着目される。古代ギリシアの悲劇とその影響を受けたヨーロッパの悲劇では、アリストテレスが悲劇の意義として論じたカタルシスが重要視される。カタルシスは通常、観客の精神的浄化の意味で理解される。能でも救われなかった魂の救済が物語の主題であることがほとんどであり、観客のカタルシスか否かを別にすれば、またカタルシスの具体を問わなければ、その点での類比は可能である。ただし、古代ギリシアでは成年男子でなければ市民とはみなされず、女性の道具化・奴隷化は甚だしい(これは中世日本でも、あるいは現代になるまで変わらないであろう)。従って、少なくともカタルシスという観点から謡曲を考察するなら、そこに描かれる女性の成仏が特異な系譜を形成していることが見出される。つまり、能では鑑賞者のカタルシスではなく、作品が描き出す女性のカタルシスが主眼となろう。ただし、能の鑑賞者もそのカタルシスの場となるのであれば、謡曲を媒介あるいは契機としてカタルシスが実現するというよりも、むしろ男性性・女性性の無差異化が実現していることの方が能にとっては要であるようにすら思われる。というのも、あらゆるものの成仏問いう観念を背景とする謡曲であれば、単にカタルシスが主題になるのではなく、その前段階として男性性・女性性の無差異化が主題化されねばならないからである。それを経ねばカタルシスには意義がないであろう。

 アリストテレスの『詩学』では喜劇を扱う部分が現存せず、その悲劇に対してどう位置付けられているのか不明であるだけでなく、古代ギリシアの喜劇作品も散逸してわずかしか知ることができない。これに対して中世ヨーロッパやルネサンス以降の道化についてはよく知られ、国王や貴族に支え楽しませるだけでなく、主君を批判する発言が許される立場にあった。これを自由な発言権と呼ぶのは行き過ぎではあろうが、権力の相対化という働きを見ることができるのは事実である。これに比して、狂言にも権力の相対化が見出され、作品「御茶の水」(大蔵流の曲名で、和泉流では「水汲」)も例外ではない。なお、将軍家光のお茶用の水として献上されたことに由来する地名「御茶の水」(表記法は複数あり)の泉跡は、今回の上演のあった宝生能楽堂の南東200メートルのあたりに位置する点で、名称上の一致(偶然だとしても)ではあるが、言葉の掛け合わせを重要視する文藝に臨んでは、これも趣向と言えよう。

 狂言「御茶の水」は次のような筋の曲である。野中へ清水を汲みに行くよう住持(住職)に頼まれた新発意(しんぼち;出家間もない少年)はその頼みを拒む。その代わりに門前の娘いちゃ(若い女通名)が水汲みに行く。それを追って、新発意は野中まで来てしまう。すると娘は小歌(室町時代に流行した歌謡)を歌っている。そこでかねてより想いを寄せていた新発意は歌で思いを伝えようとし、謡い交わしあいつつ水を汲み、戯れ興じる。すると娘の帰りが遅いことを案じて迎えにきた住持に新発意は叱責を受けるが、逆に住持と取っ組み合いになり、最終的に娘も加勢して、二人は住持から逃げる。ストーリーとしては小歌の謡い交わしあいを通して思いを通わせ合うことに主眼がある。

 ここでもまた、絶えず「周辺に拡散する脱中心的なエネルギー」として権力を中心をアナーキー化し脱中心化する無限の運動が、個別的具体例として描き出されている。しかも、能と同じく対話劇である狂言に、あるいは能狂言という組み合わせの演劇に、我々は〈脱中心的なエネルギー〉としての〈ポリフォニー〉を聞き取ることができる構造になっている。異質なるものどもの様々なる声は能という舞台藝術あるいは謡曲テクストのうちに具現化され、異質なるもの同士の対話、あるいは相互理解、あるいは異質性の転換を我々は見ることができる。狂言は、このようなポリフォニー狂言のうちに具現化されるというより、狂言そのものの存在によって、それが演じられるということ、あらゆる権力で組み立てあげられている〈機構〉にそのような笑いが挿入されることによって、つまり狂言がメタレベルに位置することによって、人が自身の存在を具体化しているあらゆる権力機構への批評になっていると考えるべきであるように思われる。

 

考察

 私は今回の能楽鑑賞を多重多層化する現象性についての考察(成仏の現象学)として展開しておきたい。能に見られる神仏習合は因明的論理学や法相的認識論のように思索を明示的に展開してはいない。神仏習合は神学書・理論書の体裁をとった書物を持ちながらも、そのような論書は、老荘的・道教的思索のような組織立った世界観を提示しているものではない。儒学朱子学的議論のような緻密な態度でもなく、プラトン主義やキリスト教主義の哲学のように論証することもない。もし神仏習合が因果論的な関係性を否定するとして、それは因明や法相における議論をよそに言葉遊びに興じている文藝であるに過ぎず、そこには論証と異なる思索の精神が息づいていると言うことはできないのだろうか。神仏習合が考える因果はそのようなものではなく、仮にコスモス的な全体性といったものがプラトン主義的哲学やキリスト教主義的哲学の理念として君臨すると考えるなら、あるいはそういった両者のような伝統的な世界観を世俗化したものとしての近代主義的な思考と捉えて良いなら、ここに見られるのは典型的に前近代的であるかもしれない思考、近代性とは相容れない思惟であると言えるのだろうか。私の考えでは、そのような前概念化的な「思考」あるいはむしろ直観が、能では〈成仏〉の形象性に見出されると言える。この点をもう少し追究しておきたい。

 線的な連鎖の集まりとしてのコスモスといったメタファーに合わせて例えるなら、それは微細な無数の線に分岐するアラベスク状の運動と表現してもよいだろう。能狂言という組み合わせの演劇は、むろん政治的制約から完全に自由ではありえないながらも、あらゆる〈機構〉において中心・核心が虚構であることを露呈させ、ある種の傾斜、傾き、偏りの系列を示すように思われる。中心をもった〈機構〉とは、言い換えれば〈閉じた円環〉、あるいは〈回帰〉といった構造なり運動なりである。これは謡曲の末尾に置かれる「帰りけれ」(あるいは「失せにけれ」)と同一視されてはならない。なぜなら、謡曲の「帰りけれ」(成仏)は同一性への一致を表明するものではなく、変容の現成を示すものであるからだ。しかも、これは一対一対応の因果関係の否定、原因と結果の連鎖網のように重い描かれる全体の否定、コスモス的な組織化の否定である。すなわち、「微細な無数の線に分岐するアラベスク状の運動」として形容されうる思考の運動は、コスモスの否定としてはアナーキーであるが、謡曲に見出され舞台上で身体化される感覚的(美的)なものとしては無秩序ではない。それは「帰りけれ」(成仏)へと向かう秩序・構造、あるいは目的論的運動をもった思考に思われる。

 この思考・思索・思惟の運動を巻き起こす起点にあるのは、原ヒュレーとその顕現・非顕現をめぐる直観であると言える。そこには、いまだ意味へと回収されてはいない意味の塊のようなものの現れがある。モルフェー(従ってそれと対称的なヒュレー)は構成する側に属するものでしかない志向性の水準にある。この直観における現れは、そのようなモルフェー(構成する側)に属しえない水準における現象である。そこに現れるのは、自らとは異なるものの現象であり、その現象の場たる直観、謡曲の呈示するこの直観は、それゆえむしろ〈原〉を付加することによって時間性が加味されかねないことすら回避すべき水準でなされている。ここに顕となる形は、いかに捉えられるのか。その顕現の仕組みを考えることは、謡曲に見られる思索の精神を語ることになると言えるように思われる。構成する働きとは異なる働きを、その働きに則って(志向性を外挿することなく)捉えるということは、同一性のうちにおける差異化を見極めるということであろう。謡曲においては、このような内在的な自己差異化の働きを自己形象化として捉えることができるのではなかろうか。

 シテは世界を開示せず、むしろ世界から外れたモノを開示する(前シテ、前場)。むしろ、与えられた世界の現象性を開くのがワキの役割である。まずワキは与えられた世界という構成を再度ときほぐす仕方で理解する働きとして登場する。つまり〈与えられたもの〉をその〈与えられ方を成り立たしめている前提・条件(志向性)〉に遡るのがワキである。しかし〈与えられたもの〉を〈与えられたもの〉になさしめる構成に沿って理解することは、〈わかっていること〉を〈わかっている通り〉に分解したり組み立て直したりする動作である(そういう意味で、〈再度ときほぐす〉としか言いようがないと思われる)。それはテンプレート式認識であって、あらかじめ与えられた既知の答えを目指して練習問題を解く訓練と変わらず、未知なるもの(シテ)を了解することにはならない。

 ところが、ここでワキが出会うシテとは世界をはみ出すモノ、ワキの構成する世界の秩序、コスモスを解体する現象である。能は一見すると前シテとしての現れがワキを媒介として変容してゆくように思われるが、シテの変容は実際には自己変容の場としていること、自己を変容の根拠としていること、変転の場としていることを指し示している。そのような自己触発的な変化の意味で捉えられるべき自己差異化は、前シテ・後シテという形で提示されている。自己触発的な変化であることは、後シテの顕現においてワキが語らず問わず動かずただ見守るだけであることが示唆すると言えよう。シテが自己の本来性を開示するという仕方で自己を差異化するとき、ワキの沈黙(驚きであり、黙認であり、そのような世界了解であり、構成が回避されている)は、世界の秩序から外れたモノとの出会いによってワキも変容しうることを示唆しているであろう。

 謡曲においてシテが前場後場とで変容するかぎり、前シテが志向性分析による世界構成の解明であるのに対して、後シテはそのようなテンプレート式認識、用意された路線をたどってあらかじめ設定された正解に至る常識を峻拒する働きとして登場してくる。ここで後シテは仏となるが、それは絶対者となって、あるいは絶対者へと没入、帰入してしまう意味での神秘主義ではないと思われる。そのような理解の神秘主義では、主客の無化がそのまま全体性の顕現、全体直観になっている。これに対して、謡曲は志向的構成による世界とは異なった現象性の開示を異他的なるものの自己差異化として描くのであって、全体性の直観とは別の水準で現象の開示を解く。この開示は、ワキなしに、無媒介に本来的な姿の晒される目覚めることと言える。それは開示自体の生起がシテの自己差異化であることと言い換えられよう。そが無媒介であるのはワキの志向性(構成する側)に属しえない水準で生起するからである。この無媒介性、本来性は、ワキの無言・無動作の裏返しとして示されている。

 このようにして、シテは自己を前シテから後シテへと内在的に差異化、二重化する。このとき後シテはいかなる姿・形象として描き出されるであろうか。通常、それは転変する情念の像であろう。情念は、悲しみ、苦しみ、憎み、恨みから、その解放へと転じるが、この解放はただの喜びではありえない。なぜなら、そのような喜びは強い否定的な情念を前提、基礎、根拠としなければ成り立たない心の働きであるからだ。これに対して、後シテが成仏として提示するのは、全体性のコスモス的な組織化でなはく、微細で無数にある個別的生がそれぞれの営みの分岐点においてその時々に躍動し脈動するその都度の個別的な力動性である。そういった生の働きの具体的な出来事は一回的であり、その個々別々の偏重において生は個別の具体的な悲しみと喜びとを合わせもつ。謡曲がただひたすらに陽気な生命讃歌ではありえず、むしろ悲哀と幸福とが矛盾せずに一つの生を形作ることへの眼差し(後場でのワキの意義)を歌い上げる抒情詩であることの理由が、ここにあると言えよう。

 能楽鑑賞において、つまり仏が現象してゆくさまにおいて、情念の変容において、我々は当事者たちの自己差異化を見ることになる。そこでは当事者の自己像が多重化し、多層化し、微細な情緒の変化をその都度、形象化している。謡曲という物語あるいは抒情詩において、ドラマの進行は物語の筋として一本性を描いているように見えるが、そこここで多様なイマージュを分岐させている。しかも、その分岐したイマージュは同一なるものへの一致によって一つの像に収斂するのではなく、一致しない特性を重ね合わせる像として現れる。演技者は、演技が成功しているのであれば、このようなイマージュを身体化するものとして舞台に立っていると言えるのではなかろうか。

2019年11月6日 小野純一

研修3申請書:五雲会(2019年10月19日)

出張計画書

 

研修名:感情表象の系譜の研究に関する研修

出張日程:10月19日(土曜日)

出張者:小野純一(哲学)、吹田映子(文学)、渡部麻衣子(倫理学

 

研修の目的

 上記出張者3名は9月20日の現代美術・現代バレエ研修では、ミュシャにおける線表現から現代に至る系譜、および音楽原典の忠実な再現と現代的振付けによる解釈を視察検討した。10月の研修では、研究主題上これに対応する象徴表現を能楽を対象として、日本の舞台作品における解釈・演出・感情の身体による表象の実践を視察し考察することを計画している。今回は日本の舞台芸術・近代芸術・現代芸術の問題を考察する第一弾として、本学での能楽の指導者の能楽師・澤田宏司氏主演の舞台を研修の場としたいと考える。

 能楽は19世紀末まで前近代の日本で「式学」として、またそれと関連して寺子屋で謡本が教科書として用いられ、前近代の社会全体にとって規範・基礎であった。近代化の中では、近代的概念としての「芸術」の規範化にともなって、すなわち主観や感情の領域としての芸術という認識の導入にともなって、そのような規範とは異なる表象の実践(感情を身体と言葉において表出し具現化すること)、および認識の範疇において、能は全く異なる規範に再編された。ポスト近代以降、近代主義的規範が解体され、規範の再編が試みられているなかへ能も再編されつつある。

 我々の研究主題である「客観性の規範化」に対して、その対立概念たる「主観性の規範化」は、対称性において我々の主題を明確にする相補的な位置にある。すなわち、近代の「客観性の規範化」を問いその再編を考察するには、主観あるいは感情の規範化と再編を論じる必要がある。換言するなら、科学において「感情」を切り捨てる形で邁進してきた「客観性の規範化」を考察するとは、残余の側面を考察することと相補的でなければならない。感情表現と規範、感情と身体表現という問題を前近代・近代・ポスト近代における規範意識の変遷との相関において考察するにあたって、歴史的に継続的に存在し中世的形式を維持しているとみなされる能は格好の題材となる。加えて、近代化の中で特有の変容を被ったアイデンティティ意識は表現者に「表現の不自由」を強制したり、能をナショナリズムの道具にしたりすることで、現代的な感情表象の場とその意味づけを大きく変容させている。

 今回は「敦盛」辰巳和磨、「井筒」大友順、「葵上」澤田宏司において妄執からの解放、男女の情愛の表現(身体・言葉)がどう具現されているか検討し(能は五流あるので、残り四流も視察する計画)、我々の今後の歴史的考察の一資料とすることを目的にしている。またこれは今後「主観」「感情」の問題を扱うのに相応しい曲目を選出するためでもある。加えて、能を対象とするのは、前近代的な譜面である謡本、譜面における線表現もまた我々の考察の射程に入っているからである。

 

上演場所:宝生能楽堂(東京都文京区本郷1丁目5−9)

上演時間:11:00〜17:00

研修2報告書:みんなのミュシャ展

 2019年9月20日(金)、Bunkamura ザ・ミュージアムにて「みんなのミュシャ」展を観覧した[1]。国内におけるミュシャの回顧展は二年前に行われたばかりであり、空前のミュシャ・ブームといった様相を呈している。前回は2017年に国立新美術館で開催され、晩年の連作《スラブ叙事詩》(1912-1926年)が目玉であった。横が8メートルを超える超大型の油彩画が全20点揃い、会場にひしめく観客の群れにはよく釣り合った視覚体験を提供していたように思う。これらはプラハ市のために制作され、「古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史」[2]を描いているということで、民族主義愛郷心に焦点が当てられていた。

 

 対して今回のミュシャ展では「みんなのミュシャ」と題されていることからもわかるように、ミュシャの手になる図像がヨーロッパを越え、各地で大衆的に受容されたことがテーマ化されていた[3]。副題は「ミュシャからマンガへ —— 線の魔術」である。展示の前半ではミュシャが最も本領を発揮したグラフィック・アート、つまりポスターや挿絵等の作品が多数集められていた。後半では、そうしたミュシャの意匠を取り入れたことが明らかな、主に1960年代から70年代にかけての英米系ロック音楽のレコード・ジャケットが並んでいた。その後日本という文脈が締め括りとして登場し、1900年代に藤島武二(1867-1943年)らによってデザインされた文芸誌の表紙がその嚆矢として紹介されていた。その後は再びミュシャの作品が並んでいたため、日本のミュシャ受容における空白期間をマスキングしたようにも思えたが、最後には、ミュシャからの影響を語る作家の言葉とともに日本の漫画やイラストが多数展示され、「ミュシャからマンガへ」の道を示そうとするこの企画の狙いが、説得力はともあれよく理解された。展示されていたのは、1970年代から90年代にかけて制作された山岸涼子ら女性の漫画家によるいわゆる少女漫画や、天野喜孝ら男性イラストレーターによる作品である。

 

 今回ミュシャ展を見学したのは、ミュシャの作品自体に関心があったからではなく、女性像と「線」との共謀のごとき関係性に関心があり、今回の展示はそれについて考察するための格好の素材を提供していると判断したからである。展示を見終わって、この判断は正しかったと思う。件の関係性については今後丁寧に考察を進めるつもりだが、そのために考察すべき素材として、展示中に注目したいくつかの点を以下に記しておく。

 

 一点目は、オーウェン・ジョーンズ(Owen Jones, 1809-1874)による『装飾の文法』である[4]ミュシャのみならず当時の芸術家たちに広くインパクトを与えたらしいこの書物は1865年にロンドンで刊行されたが、今回はミュシャが参照したからだろうか、同年に翻訳・刊行された仏語版が展示されていた。いずれにせよこの本は「全世界の装飾様式を系統的に収録した書物(彩飾図録)として画期的なもの」だそうで[5]、展示中に開かれてあったページには、アラビア文字を配した曼荼羅風の図像が掲載されていた。展示した側の意図に沿っているかどうかは不明だが、私にはミュシャのデザインの根幹には常に曼荼羅があるように思われた。

 

 二点目は、生成する有機体のごときモチーフの数々であり、それは、どこが始点なのかを明かさぬまま一本の線が無限運動を繰り返すなかで現われて来たように見える形である。そのような模様ないしモチーフは、ミュシャ作品の至るところに指摘できるようだったが、最も象徴的な作品として『鏡によって無限に変化する装飾モティーフ』が挙げられる(写真参照)[6]。モチーフの創作に当たってミュシャが実際に鏡を使ったのか、そうであればどのように使用したのか等、あいにく詳細は不明ながら、「無限に変化する」ことへのミュシャの関心が明かされているようで、先に言及した曼荼羅との関係も含めて興味深く思われた。

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提供:小野純一

 三点目は、女性像が毛髪の表現を契機として周囲の装飾模様と一体化している点である。日常において毛髪は顔にとっての付属物か額縁のような位置づけだが、ミュシャ作品においてはしばしば植物や紫煙と一体化し、自律した生命体のようにうねっている。日常的な意味の比重が逆転し、毛髪にこそ一番太い輪郭線が与えられているのを見ると、脱中心的なエネルギーを感じずにはいられない。中心を希求する主題の在り方が男性的なのに対し、周辺に拡散する装飾の在り方が女性的であるとする見方はすでに一般的なものかもしれない。また、だからこそ1960-70年代の各地の対抗文化においてミュシャの図像が人気を得たのだろうという理解も、おそらくはすでにどこかで指摘されているだろう。結局のところ、ミュシャに先進的なものを見出しつつ価値の転倒を図ろうとするこうした態度は、大量消費社会の徒花としてあちらこちらで咲いているに違いないのだ。

 

 気を取り直して四点目は、先述の装飾模様に関して、文字との一体化が図られている点である。文字の装飾性が強められることで、文字と装飾と女性像とが混然一体となり、一種アナーキーな眩暈の場が成立しているように見えた。

 

 最後に五点目として、ミュシャ展において自ずと演出されていたように見える「女らしさ」がある。前提として美術展に足を運ぶのは概して女性が多いように思われるが、今回のミュシャ展では特に女性の観客が多いように見受けられた。一方で、展覧会図録はピンク地に金字をあしらい、「かわいらしさ」を強調した装丁になっていた。消費の餌として世の中に撒かれる「かわいらしさ」や「女らしさ」について思うとき、ミュシャの図像は確かにその規範の一つとして機能しているように思われる。19世紀末の象徴主義の文脈にミュシャが位置づけられるとして、そこで形成された女性像が少女漫画を含め、どのようにして日本の現代社会における美の規範の一つとなったのか、大いに検証の余地があるのではないだろうか。

 

                         (2019年9月27日 吹田映子)

 

 

[1] 会期は2019年7月13日から9月29日まで。展覧会HPは< https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/>

[2] 国立新美術館HPより。<https://www.nact.jp/exhibition_special/2016/alfons-mucha/>

[3] 英語表記ではTimeless Muchaとなっており、そのまま訳すと「時代を越えるミュシャ」となる。どちらが先かは不明だが、英語版と比較した場合、日本語版における「みんなの」という語句の選択には、ミュシャの図像が発揮してきた大衆性を表現するというよりも、当の展覧会に観客を最大限動員したいという大衆迎合的態度の方が実際には透けて見える。

[4] Owen Jones, The Grammar of Ornament, London: Day and Son, 1856. 邦訳の最新版は以下。オーウェン・ジョーンズ[編著]、佐野敬彦・渡辺眞[解説]『世界装飾文様集成』全2巻、日本図書センター、2010年。

[5] 八田善穂「オーウェン・ジョーンズ『装飾の文法』について」、『徳山大学論叢』第49号、徳山大学経済学会、1998年、113頁。

[6] 1901年にパリのLibrairie centrale des Beaux-Artsから出版されたカラープレートのようだ。

研修1報告書:バレエ・アム・ライン 

 

2019年9月20日(金)、バレエ・アム・ラインによる現代版の白鳥の湖[1]を観劇した。チャイコフスキーによる三大クラシックバレエの一つを現代的に再解釈した演目、ということで、今回の観劇で、 感情表現の近代から現代への転換を目撃することを期待していた。しかし結果から言えば、今回の公演は、私の期待に応えてはくれなかった。この報告ではその理由を考察する。

 

 まず一点目に、作品における「性愛」の表現に対する不満がある。物語は王子がその仲間達と「青春を謳歌する」場面からはじまる。ここで、王子が同性とパドゥドゥを踊ることで、その性的指向が暗示される。解説によれば、王子は、「青春を謳歌している」最中に、母親である女王に妻を娶るよう命じられることで「絶望する」のだという。しかし、この場面では、肝心の王子よりも「恋人」の絶望の方がより色濃く、また説得力を持って表現される。何せ王子は、嘆きながら森にたどり着いて、そこで観た明らかに「女性性」を持つ白鳥に簡単に心を奪われてしまうのだから当然だ。力強い白鳥の群舞の奥で、「恋人」が後ろを向いて佇んでいるのは、おそらく、その悲しみの表現、ということになるのだろう。理不尽な理由で「恋人」を失う悲しみには誰もが容易に共感することができるが故に、動かない背中には説得力がある。しかし、惜しむらくはこの「恋人」が単なる端役である、という点だ。肝心の主役には、心変わりするにあたっての葛藤が微塵もなく、共感を挟む隙がない。この理解し難い王子の感情を、それでも解釈してみれば、おそらく王子は、「ファッション」として「同性愛」を嗜んでいたけれど、そうした「遊び」を許されない我が身を嘆いていたところに、新たな情熱の対象が見つかった、という程度なのだろうと考える他にはないように思われる。そのような「ファッション」としての同性愛のあり方が受け入れられていた時代は長い。古代ギリシャでも武士の時代の日本でも、男色はたしかに一つのファッションであって、葛藤の源泉ではなかった。しかし、LGBTQ運動を経た現代において光が当てられるべきは、王子の恋人が体験するような、社会的規範がもたらす理不尽な悲しみであり、葛藤ではないのだろうか。「同性愛」を単なる作品の現代性を表す記号として消費し、それを現代の記号に成らしめた当事者の葛藤の表現を怠ることは、「現代版」と名打つ作品としては、怠慢ですらあるだろう。さらに言えば、そもそも『白鳥の湖』の主題が、白鳥の「完全な愛」と人間的「愛の限界」の間に生じる葛藤とその結果としての悲劇であることを踏まえれば、この主題の基に、王子と恋人の間に生じるべき葛藤を描くことも可能だったはずだ。にもかかわらず、王子の「同性愛的傾向」を「青春を謳歌している」ことの記号、あるいは作品の「現代性」の記号としてしか表さなかった点に、まず、本作の第一の限界がある。

 

 不満の二点目は、「美しさ」の不足である。『白鳥の湖』を三大クラシックバレエたらしめているのは、主題の悲劇性に加えて、それを表すために演出家たちが目指してきた「美しさ」がある。『白鳥』における「美しさ」は、これまで、「儚さ」によって表現されてきたように思う。目の覚めるような純白のチュチュを纏い、トウシューズで今にも倒れそうに細かなステップを踏む踊り手たちは、朝になれば消えてしまう存在の「儚さ」を表している。この儚い美しさが、物語の悲劇性を表すための不可欠の要素である。物語の悲劇性は、舞台が儚く美しければ美しいほど高められる。クラシックの演目で表現される、可憐な、けれども緊張感のある、張り詰めた美しさは、言葉にすれば「胸が張り裂けそうな」と表されるであろう、極限の心象風景の表象であるはずだ。これに対して、現代版の「白鳥の湖」では、そのような可憐さも、緊張感も表現されていなかった。では一体何が表現されていたのか。それを読み取ることは、私には最後までできなかった。

 

 問題は、作品の視覚的効果にも表れている。作中で用いられる衣装の多くは、くすんだ色のTシャツであったと記憶している。青い照明の下でくすんだ青色の衣装は、一種幻想的空間を生み出すといえば生み出すけれども、一方で、振り付けが幻想さを目指していないために、群舞では、うっかり本作が、色味の違う「ウエストサイドストーリー」かのように見えるほどだった。表現されているものが、人生のリアルな儘ならなさなのだとしたら、再び、なんと陳腐な、と思わざるを得ない。観客がバレエに求めるのは、リアルな人生の表象ではなくて、誰もが持て余しがちな感情の諸要素の「美しい表現」なのではないのだろうか。だとすれば、主役であるらしい王子には、やはりもっと葛藤の要素を持たせるべきだったのではないだろうか。たとえば、ミュージカル『レント』[2]の「エンジェル」のような王子を期待したいところなのだけれど。

 

 この「美しさの欠如」が不満となるのは、しかし、観客である私の側に、作品を受容する回路がないからでもある。クラシックバレエに比較的親しんできた現代の観客である私には、『白鳥の湖』に期待することや、「バレエにおける表現」に期待することがある。バレエ・アム・ラインの『白鳥』は、そうした「近代的期待」に応えない。けれど、「現代の」バレエにとってそうした「近代的期待」は、 乗り越えるべき古い規範であって、そのような期待に応えないからこそ、作品は「現代的」であり得るとも言える。そのように思いを巡らせることは可能なのだけれども、近代の規範に飼いならされた視覚と身体ではその「現代性」を肯定的に感知することができない。これは、あらゆる「現代的な」表象と観客との間に生じるジレンマであるだろう。

 

 とは言え、いつの時代であっても「新しい表象」は、観客の「飼いならされた」感性に衝撃を与えつつ、既存の規範を乗り越えさせることに成功することで受容されてきたはずで、それが「芸術の発展」の要でもあるのではないだろうか。ここでは、その成功の要件が何であるのかを検討することは避けたいけれども、既存の規範を「圧倒する」何かではあるだろう。それを、バレエ・アム・ラインに見出すことが、残念ながらできなかった。

 

 ただし、一つ肯定できる点を挙げておくと、 気高く力強い白鳥のリアルさは目を引いた。くすんだ青い舞台に浮かび上がる、白い羽根の表現には、『白鳥』の伝統に現代的リアリズムが加味され、女性像が、「理想としての可憐さ」から「リアルな力強さ」へと変容した時代を反映しており魅力があった。本作が、 もしも女性性に可憐さや儚さといった弱さを象徴させるのをやめた途端にロマンチックな恋愛物語が成り立たなくなる証左なのだとしたら、これは、近代の産物である「ロマンチック・ラブ[3]」を再考する現代的機運を示す作品と言えるのかもしれない。それを「つまらない」と思うのは、単に古い近代的身体の持ち主であることを明かすことになるだけ、という可能性もあるので、気をつけたい。

 

                        (2019年9月26日 渡部麻衣子)

 

[1] マーティン・シュレップアー演出版。2018年6月にドイツで初演。日本では東京で9月20、21日、兵庫で9月28日に公演された。

[2] ジョナサン・ラーソン作詞・作曲・脚本によるニューヨークを舞台とする青春群像劇ミュージカル。1996年にオフブロードウェイで初演された。「エンジェル」は、HIV/AIDSに罹患した同性愛者の男性で、登場する若者たちのリーダー的存在。

[3] 「ロマンチック・ラブ」は、恋愛と結婚を結びつけるイデオロギーとして、18-19世紀頃に西欧社会に誕生した。(ノッター 2007; 谷本・渡邊2016 他)