Imagination of the Virtual / Imagination des Virtuelles

これは自治医大で人文科学・社会科学・自然科学の基礎に携る研究者が構成する会です。現在は、心の働き(感情、知性、想像力、客観化)がどのような規範化を背景とするか議論しています。

研修4報告書:シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」展

 

 

 展示の題名から大方予想していた通りの構成だった。マックス・エルンストサルヴァドール・ダリを中心にいわゆる「シュルレアリスム絵画」(巖谷國士氏によれば、そのように括り得る統一的な様式は存在しないのだが)をまず紹介し、その後は1930年代の日本においてシュルレアリスムに感化された画家たち―福沢一郎、古賀春江三岸好太郎ら―の作品に目を向けるという流れである。筆者が本展示に直接関連する文献として読んだことがあるのは速水豊氏の『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造』(日本放送出版協会、2009年)だが、そこで得た理解の枠組みを大きく変える展示ではなかったと言える。ただし想定外だったのは、つげ義春の漫画「ねじ式」や、成田亨による「ウルトラマン」のキャラクター原案が、1960年代におけるある種の日本版シュルレアリスムとして紹介されていた点である。記念講演において巖谷國士氏が明かしていたのは、彼の知り合いが当時テレビ局で「ウルトラマン」の制作に関わっており、キャラクターに付けられた「ダダ」や「ブルトン」等、シュルレアリスムに関連した名前は、巖谷氏との交流を通じて命名された可能性があるということだった。

 いま一つ驚いたのは、展示作品のすべてが国内の美術館に所蔵されているという点である。国内の所蔵作品だけでここまで包括的な展示ができるものかと瞠目した。ただし包括的という形容は一見したところに限る。というのは、1930年代から現代(束芋の映像作品で終わる)までの日本におけるシュルレアリスム的なもの(「シュール」)の変遷を辿ることがこの展示の柱の一方だとして、その中では1940年代が明らかな空白として目立っていたからである。この空白について、展覧会カタログには次のように説明されてある。 

 〔福沢一郎がシュルレアリスムを志向する若手の前衛画家たちとともに1939年に結成した〕美術文化協会は、〔中略〕当初より左翼的な団体として監視を受け、1941年4月には福沢一郎が瀧口修造とともに検挙されて約7ヶ月間拘束される事件が起きました。その後は出品作や課題制作にも時局に迎合した戦争画の作品が増え、また1944年には航空美術展を開催するなど、翼賛体制に沿った活動に取り組むこととなりました[1]

 この解説が示すところ、日本におけるシュルレアリスムへの志向は明らかに政治的な局面をきっかけに途絶した。展示を通しては語られることのない、この空白期間に鑑賞者の関心を向けさせるという点で、今回の展示構成はすでに観たミュシャ展と重なり合っていると言えよう。ミュシャ展では、大正期の文芸誌で盛んに紹介された彼のデザインが、1960年代に英米圏から入ってきたレコード・ジャケットを通してリバイバルし、その後は主に少女漫画の中に息づいている、という流れが提示されていたのだった。このような提示の仕方には論理の飛躍があると思われたが、同じことが今回のシュルレアリスム展にも認められた。

 しかし断絶は断絶として示すべきであり、空白については別の視点からアプローチを試みるのが適当かもしれない(すぐに思い浮かぶのは「戦争画」という視点だが、他の視点はないだろうか)。これに関連して思い出されるのは、近年公開された映画「日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち」である。2015年に台湾で制作され、監督はホアン・ヤーリーが務めた。1930年代の台湾が舞台であり、そこは日本による植民地支配が40年近く経過し、安定期に入っていた時期とされる。この時期に前衛的な詩人たちの集まりとして「風車詩社」が結成され、彼らは新しいものを学ぼうと同時代の日本の文芸誌を参照し、特にそこで紹介されていたシュルレアリスムの詩に惹かれたのだった。しかし彼らの活動も、1937年に日中戦争が始まり戦時体制下に入ると萎縮する。映画には登場しなかったが、この「風車詩社」に関わる画家の仲間はいたのだろうか。いたとすれば、その人はどんな絵を描いたのだろうか。

 今回の展覧会カタログにはまた次のようにある。 

 しかしながら、シュルレアリスムを標榜した日本の美術家たちの多くに言えることは、日本にもたらされたシュルレアリスムを同時代の最新の表現形式として受け入れるばかりで、シュルレアリスム本来の理念やその実現に貢献する造形的な手法を十全に咀嚼、体得するまでには至らなかったということです[2]

 エルンストやダリが「本物」であり、福沢一郎らはその真似事をしたに過ぎないと断じるには、私たちは彼らについてまだあまりにも無知である。「本来の」シュルレアリスムに合致する思想が彼らにあるかないかではなく、彼らの思想がいかなるものであったのかを知りたい。そのためには、対西欧という図式なしに彼らの作品をまとめて見る機会(個展でも可)が必要だろう。また、上述の映画作品を端緒として、広く世界(特にアジア)を見渡す視点の導入が今後のシュルレアリスム研究を活気づけてゆくのではないかと思われる。

 最後に、エルンストのフロッタージュ作品は、自然に存在する形象を写し取ることで未知のイメージを現出させる手法であるが、これは近年話題の「バイオアート」の先駆けであるように思われた。備忘録として記しておく。 

                          2019年12月31日 吹田映子

 

[1] ポーラ美術館学芸部〔編〕『シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」』〔展覧会図録〕、公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館、2019年、102頁。

[2] 同上、158頁。