研修4計画書:シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」展
研修名:感情表象の系譜の研究に関する研修
出張日程:12月15日(日曜日)
出張者:小野純一(哲学)、吹田映子(文学)、渡部麻衣子(倫理学)
研修の目的
上記出張者3名はこれまで、グラフィック・アート(ミュシャ展)、バレエ(バレエ・アム・ラインによる現代版「白鳥の湖」)、能楽(五雲会)を鑑賞し、洋の東西を意識しながら、前近代・近代・ポスト近代の社会において感情の規範化がどのように行われ、また、行われつつあるのかについて、表象分析を通して考察を試みてきた。今回は、ポーラ美術館で開催される「シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」」展を鑑賞し、20世紀前半の文芸潮流であるシュルレアリスムの中でも特に絵画において、表現内容から「感情」が一見して排除される傾向があったことを確認したい。なお、一面的に過ぎるかもしれないが、「感情」はシュルレアリスムの側よりもむしろ抽象芸術の方で引き受けられるという見方も念頭に置いておく。
さて、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが提唱したシュルレアリスムは1920年頃に始まるが、西欧を中心に各都市で同時代的に発生・伝播し、詩のみならずコラージュ、絵画、映画、彫刻、オブジェ等、様々な形式において現れた。なかでも盛んだったのは視覚表現の分野だが、そこで特徴的なのは、本展の目玉でもあるサルバドール・ダリやマックス・エルンストの作品に顕著なように、対象=モノ(objets)を一見脈絡なく組み合わせ、しかし見方によっては過剰な意味作用を惹起するようなイメージである。
一見脈絡のない対象=モノを一つのイメージとして見るとき、観者は断片から全体を再構成すると言えるだろう。実際、シュルレアリスムは精神医学や精神分析の最新の知見を取り入れつつ、統一的で理性的な主体(sujet)の概念を問うたと言われる。こうした予備知識なしにシュルレアリストたちが生み出した絵画表現を見ることは難しいが、確かにそこでは、悲しみや喜びといった人間の日常的な感情を差し挟む余地はないように思われる。このように再構成された主体において、感情にはどのような場所があるのか、あるいはないのか。
両大戦間期に盛り上がりを見せた西欧のシュルレアリスムには、人間精神の解放という理念があった。シュルレアリストの多くはソ連誕生という政変を知って社会主義的な「革命」への憧れを抱き、各地で台頭しつつあったナショナリズムや植民地主義に抗して政治的な運動にも深く関わった。以下は憶測でしかないが、例えばナチズムが感情の動員に長けていたとはよく言われるところである。全体主義的な状況下でシュルレアリストたちが「感情」を退けたとすれば、社会情勢等に規定された彼らの日常における感情経験がどのようなものであったのかを詳しく知る必要があるだろう。
こうした西欧のシュルレアリスムが「超現実主義」として日本に伝わったのは1930年代のことである。シュルレアリスムの中心地であったフランスでは、反ナチス=ドイツという立場であったがゆえに(あるいはブルトンらがアメリカに亡命したがゆえに)、シュルレアリスムは生き延びることができた。一方、翼賛体制にあった戦時下の日本では検閲・弾圧等が厳しく行われたため、シュルレアリスムに思想面で共感する者であっても、体制批判をも辞さない人間精神の解放という旗は掲げることができず、したがって中核となる理念を欠いたまま、シュルレアリスムは表面的な美術のスタイルとして流通することになった。こうして骨抜きにされた日本のシュルレアリスムの残滓が、現在も使われる「シュール」という日常語に定着したようだ。
以上のような関心から、展示のみならず巖谷國士氏による記念講演会にも参加する。「シュルレアリスムと『超現実主義』」と題された講演では、シュルレアリスム研究の泰斗であり、且つ(シュルレアリスムを体系的に日本に紹介した)瀧口修造の友人でもある巖谷氏から、シュルレアリスムをめぐる歴史的な証言を聴けるのではないかと期待している。
会場: ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285)
講演会: 13:50集合、14:00~15:30
展示鑑賞: 15:30~17:00